toarudaigakuseizakkiの日記

自分の文章をネットの海に残すことを目的にしています。

【ファンが考える】風さんの宗教問題&なぜサイババの名前が一切出ないのか

藤井風さんの宗教問題について議論が巻き起こっているのはTwitterごく一部の界隈だけで、世の中の大多数の人は無関心であり、中立であることを忘れないでください。

まえがき

それは唐突に

先日、藤井風さんのTwitterがこのような状態になっていた。過去のツイートが全て削除され、アイコンも初期のものになり、実質的にTwitterを辞めている状態である。(2022年12月31日執筆当時)

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https://twitter.com/fujiikazeよりスクリーンショット

加えて、Instagramストーリーでこのような発言を藤井風さんは行った。
(筆者はリスニングが苦手なので、Twitterに上がった和訳を参考にして理解しました…)

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https://twitter.com/_yuuka241/status/1608868407461707777?s=20&t=BLoyNuseuw4Cbtyu6EtU1Qより引用

なぜこんなことが起きたのか

筆者は藤井風ではないし、藤井風さんから直接話を聞いたわけではないので断言はできないが、おそらくSNS上(主にTwitter)で騒ぎになっている藤井風さんの宗教問題が原因であると考えられる。

noteでもこのような活動が行われていたりする。

彼らの主張をまとめると、(といっても様々な人がいるのでアバウトなまとめ方になることをご承知ください)

①藤井風がサティヤサイババを信仰するのは自由。

②藤井風の作品がサティヤサイババの思想の基づくものであると知らせないチーム風の運営方法に問題がある。⇒これは個人の持つ信教の自由を侵害するものではないか?

③藤井風の思想に影響を受けすぎてこれまでの生活が困難になった人がいる(といっても観測できた実例はTwitterで1例のみ)

④サティヤサイババの詐欺師や性犯罪疑惑

ということになるだろう。(間違っていたらごめんなさい。コメント欄で教えていただけると嬉しいです。)

私の考え

ということで、彼らの主張に対して筆者である私個人の考えを述べていきたい。

前提として、筆者は藤井風のファンであり、藤井風さんの考え方が好きです。また、藤井風さんが音楽を通じてご自身の思想を世に広めている(言い換えれば布教をしている)のを興味深く見ている立場の人間なので、藤井風さんを擁護する立場であるのはご承知おきください。

①藤井風がサティヤサイババを信仰するのは自由。

⇒それはそうだと思う。

②藤井風の作品がサティヤサイババの思想の基づくものであると知らせないチーム風の運営方法に問題がある。⇒これは個人の持つ信教の自由を侵害するものではないか?

⇒これは一理あるなと考えさせられた。しかし、実際に信教の自由を侵害された人と感じる人がどれほどいるのだろうか?藤井風さんの音楽に関わる人の中でそのように感じる人はごく僅かではないだろうか?必要以上に事を大きくしようとしていないだろうか?と個人的には考えている。

加えて、抗議活動の発端が、実際に信教の自由を侵害された人の訴えというよりも、信教の自由を侵害するのではないかという推測であるので、、、

③藤井風の思想に影響を受けすぎてこれまでの生活が困難になった人がいる

⇒これに関しては藤井風における問題というよりも個人の問題ではないかと考える。特定の何かに入れ込みすぎて生活が困難になったり家族を苦しめる人というのは、多かれ少なかれどの界隈にもいる。

例を挙げると、アーティストとかアイドルのグッズやCDを限界まで購入したり、ホストやキャバ嬢に死ぬほど貢ぐ人もいるし、悪い例だと新興宗教にハマって家庭を崩壊させてしまう人もいる。

特定の何かに入れ込んで生活が困難になってしまったり、家族を苦しめるということを良いことだとは決して思わないが、このような事例は普遍的に存在する上に、チーム風の場合は強烈な勧誘や洗脳(新興宗教が大金を寄付させたり、ホストが客に貢がせるような)を行っているわけではないので、この場合は受け取る側に問題があるのではないかと思う。

④サティヤサイババの詐欺や性犯罪、殺人疑惑

これに関してはなんとも言えない。事実関係がはっきりしないと何かを断言することはできない。ただ、サティヤサイババの考えが好きな人(例えば藤井風さん)に対して、「サティヤサイババはペテン師で性犯罪者だぞ」と言うのはいささかデリカシーに欠けるとは思う。(怒るのは当然)

加えて、歴史的にはキリスト教徒や仏教徒イスラム教徒などの信者による詐欺や性犯罪、殺人行為などは行われてきた。それらは決して許される行為ではないが、そのような行為はサティヤサイババに限った話ではないことに留意したい。

なぜサイババの名前が一切出ないのか

(ここからは完全に私の憶測です。)
おそらく、チーム風は

藤井風が充分に売れるまではサイババの名前を出さず、
藤井風が充分に売れた時にサイババの名前を出そう
と考えているのだと思います。

その理由としては、やはり日本では新興宗教やスピリチュアルというのは受け入れられ難く、特にサティヤサイババという存在は胡散臭いと思われていることを十分に理解しているからでしょう。

藤井風さんの考え方自体はデビュー当時から何も変わっていないとは思います。しかし、デビュー当初から藤井風さんの愛するサイババやインドの世界観を全開に押し出していた場合、きっと売れるには難儀する、誤解されるとマネージャーのずっずさんは考えたのだと思います。

初めてライブを観た当初から歌・ピアノ・エンタメ性、色々と揃っていた風。
しかし、風の本質的なことを知れば知るほど、このままこの人のことを世の中に出したら、誤解を生じる(理解されない)可能性があると考えていました。

いきなり、彼の人間性すべてをみせて(全てを詰め込んで)デビューするより、まずは音楽性を先にみせていく方が良いんだろうな。感覚的なものですが、そんな気持ちがありました。

(中略)
オリジナル曲がちゃんと色々な方に聴いてもらえたあと、この人の世界観を知ってもらうときが来るだろう。いや、オリジナル曲を聴いてもらえれば、この人の世界観はわかって貰えるか。

藤井風公式アプリ内 スタッフダイアリー「風の秋まつりPart2」より引用

藤井風さんの音楽性を先に出して、人々を惹きつけた後に風さんの世界観を見せていくつもりだったことがわかります。今はその過渡期なのです。

おそらく、今後、いつかのタイミングで公式でサティヤサイババについて言及するときが来ると私は予想しています。そのタイミングがもうすぐなのか、ワールドツアーを終えた時なのか、はたまたもっと後なのかはわかりません。

しかし、先日パナソニックスタジアム吹田で行われたライブではインドのお香を炊いたり、ベジタリアンフードを展開したり、インドの国旗を模した旗を演出に用いるなど、風さんの世界観は徐々に我々に開かれつつあります。

きっと遠くない日、我々が藤井風さんを理解する準備が整ったとチーム風が判断したら、サイババの名前もいつか登場するでしょう。

後記

今回の件では藤井風さんも言いたいこと言ったな~って感じで、藤井風さんにとっては大切な教えであるサイババの教えを外野にあーだこーだと批判されるのは頭に来たんだろうな~って思ってます。事実はともかく、自分の好きな人をペテン師だの性犯罪者だと言われたら誰だって嫌ですよね。

世界的に名が知れるビッグアーティストになり、精神的にはとても大人びているとはいえ、風さんはまだ25歳の青年ですし、まあそういうこともあるよね~と個人的には思っております。

私個人の考えでは人が何を信じようが自由だし、アーティストが何を表現しようが自由だと思います。てか、アーティストって表現するのが仕事ですよね?いつの間にかただの娯楽を生み出すのが仕事になったのでしょう。

何はともあれ、音楽を通じてご自身の考えを広めるというとても面白い試みをされている藤井風さん。今後の活躍にも期待しています。

追記
『grace』の歌詞に絡めて抗議活動をするのは個人的には止めてほしいです。抗議活動が間違っているとは言いません。むしろ自分の考えを整然と主張するの良いことだと思います。でも、『grace』という素敵な曲の歌詞を聞くたびに抗議活動のことが思い起こされるのは悲しいです。