toarudaigakuseizakkiの日記

自分の文章をネットの海に残すことを目的にしています。

『期待』(創作小説)

両親は私を熱心に育ててくれた。私が欲しいものはなんでも買ってくれたし、やりたいといった習い事はなんでもやらせてくれた。私は両親を喜ばせるべく、勉強し、着飾った。両親が褒めてくれれば私はそれでよかった。

小学三年生の時、校庭で男の子たちがドッジボールをしていた。私はそれに参加しようとしたが、彼らの反応は芳しくなかった。男だけでやりたいと彼らは言った。私は怒りを隠しながら、性別で差別するなんて男の子は幼稚だなあなんて言ったりした。

小学六年生の時、塾の模試で偏差値65を記録した。それを学校の先生に見せた。褒めてくれるだろうと思った。でも、私の予想に反して、先生は私の小学校での生活態度について説教した。私の人を見下したような態度がトラブルを招いていると言った。私はひどく裏切られた気分になった。先生なら褒めてくれてもいいのにと子供ながらに思った。

中学一年生の時、好きな人ができた。健康的な黒い肌がきれいなサッカー部の男の子だった。班で一緒になって、グループワークを一緒にやったり、給食を一緒に食べていったりするうちに彼の優しさに惹かれていった。しかし、彼が私の気持ちに気が付いてくれることはなかった。鈍感な人だった。

中学二年生の時、友達にハブられるという経験をした。何でも話せると思っていた一緒の友達グループの理沙に同じく一緒の友達グループの美優の悪口を言いまくっていたのがバレて、私は美優に嫌われてグループからハブられた。面倒な人達だなと思った。

高校に入学すると、バトントワラー部に所属した。女だけの部活動ということもあってか、先輩からの指導は厳しかった。もっと優しく教えてくれればいいのにと同級生と愚痴り合って、先輩の悪口を言いながら帰宅するのが日課だった。

高校二年生の二学期を迎えると、先輩たちが引退し、自分たちの代がトップになった。私は部長に抜擢され、後輩たちを指導するようになっていた。後輩たちには自分たちが果たせなかった関東大会出場の夢を果たしてほしいと思って、精一杯指導した。いつの間にか、私は後輩たちの間で根も葉もない悪口を言われるようになっていた。心無い後輩の代に当たった自分の運の無さを呪った。

高校三年生の時、信頼していた男友達に告白された。こっちは友達として付き合っていきたいと思って、友達として信頼していたのに、と思いながら、内心きついなと感じつつ、当然断った。

大学に一年生の夏、初めて彼氏が出来た。彼とはサークルで一緒になり、向こうがご飯に誘ってくれて、その後二人で二回遊んだタイミングで告白された。でも、彼は愛が薄い人だった。私が夜に会いたいと言っても会いに来てくれないし、クリスマスにサプライズもしてくれなかった。私が重い生理で寝込んでいる時、助けを彼に求めても、彼はなにをどうすればいいのかわからない様子で、ずっと私にどうすればいい?と聞いてきた。情けない人だった。

社会人になって二年目の秋、バーでナンパしてきた男と二ヵ月付き合った。彼は生粋のラーメン好きで大学生の頃はラーメンサークルなるものに所属していたらしかった。彼は私をいろんなラーメン店に連れて行った。彼は笑顔で、どう?美味しい?と私の顔を覗き込むのが好きだった。私はラーメンが好きではないので、できる限りつまらなそうな表情をした。しかし、彼はそれに気が付かず、私を何度もラーメン店に連れまわそうとするので、さすがに業を煮やしてお別れした。

社会人になって七年目の冬、実家に帰省すると両親から結婚はいつかと尋ねられた。私が当分する予定はないと答えると、両親は私のためと言い訳しつつ、結婚するように説得してきた。私は両親の考えを昭和から令和へアップデートすべく、反論を試みた。結局、お互いに考えを曲げることは無く、その議論は終了した。私は自分の考えを両親に理解してもらえなかったことをひどく残念に感じた。

今日も、日本の経済は縮小するばかりで、私の周りで面白いことは起きそうにない。私は会社では上がらない給与に肩を落とし、夜になると銀座のコリドー街に繰り出して、誰か素敵な人が声をかけてくれないかと毎日待っている。風に踊らされ、恋の予感がただ駆け抜けるだけの夜の繰り返しをきっと誰かが終わらせてくれると私は信じている。